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失われた謎の薬園『ラパ・ヌイ(イースター島)』が危機的状況

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失われ謎の薬園『ラパ・ヌイ(イースター島)』が危機的状況

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https://www.abroad.net/south_america/chile/easter_island/guide/stay/13821.html

 

こんにちはボルグです。

 

一度は誰しもが目にしたことのある『モアイ像』が並ぶ写真。

 

初めて目にした時からあの何とも言えない雰囲気の虜になりました。

 

いつか必ず行こうと思っている島の一つです。

 

イースター島と呼ばれて居るのはかつてヨーロッパの船が入って来た日の夜が

 

イースター(キリストの復活祭)」の夜であった事からイースター島

 

呼ばれるようになったそうです。

 

いつか行こうと思っていたら間に合わないかも??

 

今モアイたちが危機的状態のようです。

 

 

 

 

 

 

 

モアイの危機

 

海面上昇と気象変動による危機

「英スコットランドScotland)のスカラ・ブレイ(Skara Brae)遺跡群のとイースター島Easter Island)の石像の幾つかは近い将来、(気候の悪化や暴風雨、海面上昇の影響で)海岸浸食が進み、海にのまれてしまう恐れが現実的にある」と、UCSのアダム・マーカムAdam Markham)氏はAFPの取材に電子メールで回答した。

気候変動で危機にある世界遺産、国連リスト 豪政府反論で一部除外 写真7枚 国際ニュース:AFPBB Newsより参照

 

・温暖化の影響で海面上昇による被害で

 

「2100年には海面が1、6メートルもの上昇が予想されている事で

モアイ像は波に完全に飲まれてしまう可能性がある」

 

と国連からも警告がされているようです。

 

・気象変動による大雨や洪水で侵食でモアイ自体が壊れる可能性もあるとの事です。

もともと風の強い地形も更なるモアイ像への侵食を懸念されています。

 

 

謎の島イースター島

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モアイとは?

 

未来を守る部族の守護像として作られていたそうです。

 

おへそや刺青、ふんどし等が掘られることもあります。

儀式の時だけに『目』をはめる事があるという説もあります。

 

部族同士の戦いに勝った部族が相手のモアイ像の『目』を下に向けて倒したり

『目』を抜き取り勝利を意味していたという説もあります。

 

モアイの『目』には霊的な意味がこもっていたとされています。

 

モアイの運搬方法

モアイの大きさは平均で高さ4メートル、重さ10トンです。

 

今の時代なら機械で持ち上げられますが、かつての島民はどのようにしてモアイを

持って移動したのでしょう??

 

色々な仮説があります。

  • モアイが一人で歩いた(霊的な物)
  • コロやロープに木のソリを組み合わせる

 

などの仮説がありますが、かつてヤシの木が沢山生えていたイースター島

部族同士の激しいモアイ作りの競い合いで、ヤシの木や森林が無くなり巨大なモアイを運ぶ為に使う木材は減っていたとされ、この仮説は有力とされていません。

 

モアイが歩いた?モアイを散歩??

 

最も有力とされている仮説がこちらです。


Easter Island moai 'walked'

 

「像は窪みで作成され、この窪みから歩かされる形で掘られた通路を通って、モアイの道まで搬出された」イースター島には複数の「モアイの道」が横断縦断する形で残っており、その道はモアイがはまるちょうどいい形をしているのだという。細くて窪んでおり横に倒れやすいということがない。

研究チームはそれぞれのモアイのサイズを測定し、コンピューターモデルで分析して、ロープでうまく牽引すれば「歩かせられる」と結論した。そして実証したところ、実際に歩いたわけだ。

 

さらに道路脇で壊れ放棄されたモアイは、重心のバランスが悪かったという。

 

「モアイは歩いて移動した」を証明:動画|WIRED.jpより出典

 

この方法が有力である意味が動画を見てよく分かります。

運ぶ為の材料が、ロープと人力というのは画期的かつ最良手段といえそうです。

 

 

文明の崩壊

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hisより出典

ポリネシア人による文明

(4〜5世紀頃)おそらくポリネシア人が船によってやってきたとされています。

7世紀から8世紀頃にはアフと呼ばれる(プラットフォーム状の祭壇)作りが始まった。

10世紀にはモアイが作られていたと考えられていて、部族同士で大きさを競い合い

どんどん巨大化していったと見られています。

 

イースター島最大のモアイ

高さ21〜22メートル(エル・ギガンテと呼ばれている)

制作中に放棄されたのは当時のロープなどの強度からして持ち上げる事が不可能と

考えられたと見られてます。 

 

森林破壊

モアイ作りに夢中になっていた島民たちは次々に森林を伐採し、元々あった森は

17世紀には無くなってしまったと見られているようです。

 

部族の争い

その後も食糧難などが襲い部族同士の争いが進んだ中、

救世主となったイベント毎があったようです。

 

それは部族の代表が一年に一度、激しい水陸でのレースを行い

勝者には一年間の間、権力が与えられると言う事で島は暫く安定していたようです。

 

ヨーロッパ人による文明破綻?

最終的な島の文明が崩壊した仮説ではヨーロッパ人が持ち込んだ疫病や

奴隷として連れて行かれた島民が沢山いた事も一つの理由とされています。

 

部族同士の争いはあってもヨーロッパ人が到来するまで島では大規模な人口破壊が起こった形跡は見つかっていないようです。

 

  

まとめ 

モアイたちに込められた島民の思いを考えると、とても考えさせられます。

 

守護像として作られたモアイはいつしか部族同士の争いをも加速させる

 

象徴として変化しいってしまい、その後次々にモアイが倒されていってしまった。

 

なぜ倒されたか? なぜモアイは自然を壊し続けながらも作られ続けたのか?

 

はっきりとした答えがまだ分からないようです。

 

ただ一つ分かっていることはそのモアイ像が今危機的状況にあるという事です。

 

今日も最後までありがとうございます。